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川越市スキー連盟のブログ

川越市スキー連盟と川越のスキークラブの活動を紹介するブログです。今年も頑張って行きましょう!!

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第43回川越市ジュニアスキー教室(No.1)開催!


新型コロナウイルス感染拡大防止のためのスキー行事中止について
令和2年3月以降の今期の行事は、新型コロナウイルスの感染の拡大防止のために全て中止となりました。県連の3月の研修会(万座)、全日本の技術選手権(白馬)も中止です。
3月に予定されていた令和2年度の川越ジュニアスキー教室No.2と、小江戸ジュニアも、2月27日の理事会で中止が決まりました。

牛久保会長
「誠に残念ではありますが、仕方がありません。いずれは収束すると思いますので、これからも御協力をお願いします」




第43回川越市ジュニアスキー教室レポート

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さて、今回は1月に行われたジュニアスキーNo.1の様子をレポートさせて頂きたいと思います。
楽しい想い出を、無駄話を交えながら、写真とともに振りかえってみます。

第43回目となる川越市ジュニアスキー教室は、令和2年1月31日~2月2日の日程で、群馬県のスノーパル・オグナ武尊(ほたか)スキー場で行われました。

今年No.1となる第43回の参加者は47名(欠席者1名)でした。
講師役員16名で、スキー経験により9班での編成で行いました。

初日

初日は川越を午後8時に出発し、11時頃に宿に着きました。
宿に着いてスタッフはミーティングを行い、明日、二日目以降の確認を行いました。

二日目

二日目の朝は雪が積もっていました。子どもたちは朝からはしゃいでいます。
初対面のお友達が多いはずなのに、直ぐに仲良くなってます。
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朝ごはんの風景。
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準備を済ませ、宿からバスでスキー場へ向かいます。

河合先生、何してるのかな?ツララで鬼?(笑)
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開会式の様子。
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会長挨拶。
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今年作った川越市スキー連盟の「のぼり」も初お目見えです。かなり安価で出来たようですが、細かいところまでデザインされており、かなり良いものが出来ました。

班ごとにわかれて準備運動です。
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経験者組は早速リフトに乗ってゲレンデ上部へ。
初心者組はゲレンデベースでスキーの基本の修得です。
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今日が初めてのお友達は、まずは板を履いて片足で歩く練習から。次いで両足に板を履いて歩く練習です。
はじめのうちは、板を履いて歩くことも、ままならないのですよね。まずは板に慣れないといけません。
そして少しずつ滑走の感覚を覚えます。
緩い斜面で滑走の感覚をつかみます。
だんだんとバランスがとれてきます。
次いでプルーク(ハの字スタンス)での制動の感覚(ボーゲン)を学びます。

ゲレンデでは川越の「のぼり」が、かなり目立っていましたよ。
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河合先生の班です。
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岡田先生の班。
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今日はじめてスキー板を履いた子供達も皆さんリフトに乗り、緩斜面のコースを滑れるようになりました。

お昼御飯です。初日は恒例のカレーライスでした。
今年のカレーは例年に比べて少し辛かったです。スパイスが効いていました。
でも子供たちは「ちょうど良い」「美味しい」と言ってました。
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暖冬で、どこのスキー場も雪不足に悩まされていますが、オグナ武尊は標高があることもあり、良い雪が積もっていました。
天気は小雪の舞う曇り空でしたが、風が無いことで、さほど寒くはなく、運動すると少し暑いくらいでした。

今日、はじめてスキー板を履いた9班の皆さん。上達が早いです。
初日の午後にはリフトに何回も乗りましたよ。
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講習終了後、宿へは林間コースを滑走して帰りました。
今日初めてスキー板を履いた8班の子供たち。
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上手いですね~。
たった1日で、こんなに上手くなりましたよ。かっこいいですねえ。

今年もNo.1の宿はゲレンデ下の「星亭」さんにお世話になりました。
晩御飯の風景です。
とっても美味しかったですよ♪
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武尊山よもやま話

ここで少し脇道にそれて、毎年「ほたかスキー場」に来ると話題になる話について、少し調べてみましたので紹介します。いつも話がループするので、まとめてみました。
少し長くなりますが、お付き合いください。
※「神さまに近い人々」「胡麻と砂鉄」「武尊の鉄の道」「左目を閉じた日本武尊」を加筆しました。(2020年3月5日)


「武尊伝説」について

武尊(ホタカ)とオグナ
まず、武尊(ホタカ)山についてご紹介しようと思います。
場所は群馬県の北部、みなかみ町の南、川場村の北東、片品村の北西に位置する山で、標高は2,158m、八つの峰からなります。北アルプスの穂高山と区別するために上州武尊山と呼ばれることもあります。

山名の由来は神話の英雄、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征の故事によるものとされています。武尊(ホタカ)山には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が立ったという「武尊伝説」があり、山頂には2か所、前武尊の山頂と、武尊山頂の直下に、武尊像が建っています。
ちなみに、スキー場の名前にもなっている「オグナ」は、ヤマトタケルノミコトの別名(幼名)で、男の子という意味です。

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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が山頂に立ったという「武尊伝説」は本当なのだろうか。

武尊(ホタカ)山は古くから、穂高見命(ホタカミノミコト)を祭る山でした。実際、江戸時代より前は穂高山もしくは保鷹山、保宝山とされていたようです。
穂高見命(ホタカミノミコト)は大昔、大和朝廷以前の安曇族の神様です。その安曇族は弥生時代に大陸から北部九州に渡った海の民であり、その後、北部九州から現在の山陰、関西から東海、中部岐阜県、伊豆の熱海、信州長野、北は山形県の酒田のあたりまで、日本の広い地域に住みつき、上州にも安曇族が入っていました。古事記(712年)や日本書紀(720年)が書かれるよりも400年も前、四世紀頃の話です。

ちなみに、信州安曇野の穂高神社が、穂高見命(ホタカミノミコト)を祭る神社として有名です。神社、宗教というより太古は、海や山など自然を敬う原始的な信仰だったようです。

勇敢な男、タケルの伝説
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、日本書紀で表記される名前で、ヤマトタケル以前は、日本童男(ヤマトオグナ)と記述されています。また古事記では倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)、倭建命(ヤマトタケルノミコト)として登場します。

「ヤマトタケル」の伝説は、九州征伐・西征から、後の東征に続きますが、九州征伐の後に「ヤマトタケル」と名乗るようになったようです。「タケル」というのは「強く勇敢な男」という意味です。「大和の勇敢な男」という意味です。

これらは、あくまで神話での話です。「ヤマトタケルノミコト」の伝説は、一人の人物の物語ではなく、大和朝廷の東征における複数の人物の伝承が複合され、一人の英雄の伝説にまとめ上げられたものというのが通説です。

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武尊(ホタカ)山には2つの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像がある。これは前武尊にある日本武尊像で、建立は1850年(嘉永3年)。「武尊伝説」に基き、この山を開いた修験者に関わる人々の寄進により建てられたものらしいが、銅像そのものは、嘉永2年(1625年)に下野国佐野(栃木県佐野市)で鐵像されたものとされており、原図は花咲の法稱寺に保管されているようである。地元の伝説では、像は片品村の卯八郎と言う人が一人で背負い、前武尊山頂まで上げたといわれている。近年になり像が壊れたため、片品村の花咲の人々が修復し、再び山頂まで持ち上げ、現在にいたっている。

武尊山(ほたかやま)の由来
なぜ「ほたか山」が「武尊山」になったのか。
実は、この「ほたか」の山名に「武尊」をあてるようになったのは、江戸時代と伝えられています。
山麓には数多くの武尊神社がありますが、沼田の武尊神社の由来にある由緒によると、江戸時代に沼田を治めていた真田家の侍医鈴木法橋が、日本書紀の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の活躍に感動し、「武尊」と書いて「ホタカ」と読ませ、寛文初年(1661年)に沼田の社に「武尊宮」と額書し、以後ホタカの神は日本武尊であり、武尊と書いてホタカと発音することになったといわれます。
なんだかムリヤリのような気がしますが、山の名前には、そういう無茶苦茶な命名が、よくあるそうです。

さて、それでは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は「ホタカ山」と関係無いのでしょうか?

古事記での大和朝廷(ヤマトタケル)の東征ルートに、上毛野国(かみつけぬのくに、後の上野国、上州、群馬)は含まれていないのですが、後の日本書紀では、陸奥(東北)まで遠征し、関東平野に戻り、甲斐(山梨)と上毛野国を経由して、碓日坂(うすひのさか:現在の碓氷峠)から信州長野に入ったようであり、「ほたか山」のあるこの地にも、大和朝廷の軍勢が入ったと伝えられています。上毛野国(上野国)には古墳時代から渡来人が多かったようなので、東征で平定された蝦夷(えみし:大和朝廷の敵)が多かったことでしょう。

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ヤマトタケルノミコトの出征ルート(赤:古事記、緑:日本書紀) 神社史研究会より

片品の安曇族とヤマトタケル
片品など武尊山(ほたかやま)の山麓には、大和(ヤマトタケル)の東征の時、この地の蝦夷(えみし)である上記の安曇族が平定されたという伝説があります。
片品の安曇族の砦が焼かれた時に、部族長の妻が逃げ遅れて焼死してしまいました。その魂が石になり、表面に牡丹のような模様が浮き出ていることから、その石を「花咲(はなさく)」と呼ぶようになったそうです。今の、温泉がある片品村「花咲」の由来です。
もちろん伝説での話です。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)ではなかったかも知れませんが、片品の安曇族が大和朝廷に平定された(実際には攻め込まれて焼き討ちにあった)ことは、おそらく事実なのでしょう。

一般的にはこの地域の「武尊伝説」は、ホタカ山の修験者たちが、明治以降に語り始めたものと考えられています。山麓に多数ある武尊(ほたか)神社も、明治41年の神社統合により武尊の字があてられたようです。

やはり「武尊伝説」は、創作に過ぎないのでしょうか?

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山麓の片品にある花咲岩(牡丹石明神)

里芋と胡麻を作ってはならない
少し興味深い話があります。
聞くところでは、片品の花咲地区(武尊山の山麓)では、里芋と胡麻の耕作をしないということです。耕作をしないというより、里芋と胡麻を作ってはならないという「言い伝え」があるそうです。
というのは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、里芋のつるで足を滑らせ、胡麻の穂で目を怪我したという伝説があるからです。

片目の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説ですが、たしかに山頂(奥武尊)の日本武尊の像は片目、左目を閉じています。しかし、数多くある他の地域の日本武尊の像は、片目ではありません。有名な日本武尊の絵画も、片目ではありません。

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上村松園作 「日本武尊」図

なぜ、武尊山(ほたかやま)山頂の武尊像だけが、片目なのでしょうか。片目であることに、どういう意味があるのでしょうか。

実は日本の神々の像には、片目が潰れた像が少なくないのです。しかも全て左目です。伝説では、他にも尊が胡麻で目を怪我したという話があります。

ちなみに天照大神は伊邪那岐命(イザナギ)の左目から生まれたのだそうです。
なぜ左目なのでしょうか?
このあたりは神話の謎の部分です。古代の信仰と関係あるのでしょうか。

おそらく、古代において片目の人々は、神さまに近い崇高な人々であったのだと思われます。
もう少し掘り下げてみましょう。

神さまに近い人々
当然ながら疑問に思うことは、胡麻の穂で失明するくらいの怪我をするかということです。木や竹の切り株ならわかりますが、胡麻で大けがをするものでしょうか。

実は、上州にはそのような伝説はありませんが、お隣の信州には、神さまが胡麻で目を潰したという同じ伝説が、驚くほど数多くあるのです。
転んだ原因は里芋のツルで滑ったというものもありますが、ささぎのツルに滑った、牛の糞で足を滑らせた、犬に追われた、単に転んだという話までいろいろです。
なぜ、これほど胡麻で片目を潰されるという伝説が多いのでしょうか。
伝説のほとんどが、神さまが転んで胡麻の穂やサヤ、茎で目を突き、片目になったというものです。そして、その神さまを想いやって、人々が胡麻を作らないという、村の言い伝えです。

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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が胡麻の穂で目を潰したとの伝説の他に、花咲には都から片品に来た保多賀御前(大納言藤原頼国の妻)が里芋に滑り胡麻の茎で目をつき亡くなったという伝説もあるのだが、後に述べる通り片目の伝説は男の神さまであると思われるので、おそらく創作であろう。

胡麻と砂鉄
実は胡麻は、鉄の原料である砂鉄を意味しているのではないかという説があります。片目の神様とは、製鉄に由来しているということです。

古代から鉄は、農機具だけでなく、剣などの武器にもなり、非常に貴重なものでした。
古墳時代に始まる日本の製鉄は、山を削って掘り出した砂鉄と、山で焼いた木炭を用い、小さな炉で自然の風を使って鉄を溶かす方法で作られていました。少量しか作れず鉄も質の悪いものでしたが、古墳時代から弥生時代の頃に、朝鮮半島から最新技術である「たたら製鉄」が出雲にもたらされます。「たたら」とは鞴(ふいご)を使い、火力を高める溶鉱技術です。
大和朝廷(ヤマトタケル)の出雲征伐は、この「たたら製鉄」の技術と、不純物の少ない質の良い砂鉄を手に入れることでもあったと考えられています。

この「たたら製鉄」の釜(溶鉱炉)にはホド(送風孔)があり、その穴から溶鉄の具合を見つめるのですが、古代の溶鉱炉で働く鍛冶職の多くが、熱で片目を失ったということです。

古代において貴重な鉄を作る鍛冶職人は、神格化された人々でした。つまり片目の神様は鍛冶職のことであり、胡麻で目を潰した神さまとは、製鉄で目を潰した鍛冶職を神格化していると思われます。それほど崇高な人々だったのです。

実際、古事記や日本書紀に登場する製鉄の神様、天津麻羅(アマツマラ)、天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)は一つ目の神さまであり、「ひょっとこ」の左目が細くなっているのは、口をすぼめて尖らせる表情からも、鍛冶職の神さまを面白く表現しているのだと考えられています。

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左が黒胡麻、右が砂鉄。古代の人々が胡麻を砂鉄にたとえたのがわかるような気がする。

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左目が小さく口をすぼめた「ひょっとこ」は、おそらく鍛冶神のことであり、地域によっては「火男」と書く。一説には天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)だといわれている。

武尊の鉄の道
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征は、蝦夷を討つ旅であったとともに、各地の製鉄場を征し、質の良い砂鉄を探す旅でもあったという説があります。
武尊(大和朝廷)の東征のルートには、房総(千葉)から常陸国(茨城)、東北は北上、尾崎半島・釜石(岩手)まで、砂鉄の豊富な地域が多くあります。

上毛野国(上野国、上州、群馬)では、赤城山麓の南に古墳時代以降の三ヶ尻西遺跡、片並木遺跡という製鉄遺跡が出ており、渋川にも金井製鉄遺跡があります。実は、上毛野国は古代から製鉄の盛んな国だったのです。
この地には炉だけでなく、多数の古墳があることから、鍛冶職などの技術者が多かったと考えられれ、武尊(大和朝廷)にとっても、征服せねばならない地域だったと思われます。

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出雲の「たたら製鉄」。出雲は須戔鳴尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したという神話の舞台でもある。たたら製鉄では3日3晩にわたって、砂鉄と木炭を炉に入れて燃やし、4日めの朝に炉を壊してケラと呼ばれる鉄の固まりを取り出す。日本各地の暮らしを記録する雑誌より。

では、武尊(ホタカ)山のあたりはどうだったのでしょう。
武尊(ホタカ)山は100万年前に活動が終了した火山であり、山麓には砂鉄を含む古い時代の花崗岩の地層が多くあります。古い花崗岩は脆く、砂鉄を取るのが比較的容易なのです。
東征の途中、上毛野国に入った武尊(大和朝廷)一行が、砂鉄を求めて赤城山麓に入り、沼田から川場、そして片品に上がった可能性は、十分にあると思います。

良い鉄を作ることができる不純物が少ない砂鉄は、浜砂鉄や川砂鉄ではなく、岩から採取する山砂鉄であり、強い武器を作るために重宝されていました。なかでも花崗岩から取れる砂鉄が極上の砂鉄でした。武尊(大和朝廷)が極上の山砂鉄を探し求めていたことは想像できます。

大胆な推理をするとすれば、武尊(大和朝廷)一行は、花崗岩が多い片品の南側山麓から武尊山に上がり、同じく花崗岩が多い北側の山麓、宝台樹、水上に降りたのではないでしょうか。その後、碓井峠を経て信州に入ったのです。
つまりホタカ山の「武尊伝説」は、「武尊の鉄の道」ということになります。

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武尊山付近の地質図。中央の白線で囲ったVa が武尊火山噴出物。周辺の地層は、Vp: 前期更新世前半の火砕流堆積物、Er 及びLc: 中新世の火山岩、E: 中新世の堆積岩、G2: 白亜紀〜古第三紀の花崗岩類、Iw: ジュラ紀の堆積岩、Mz 及びKb: ペルム紀の堆積岩、火山岩、U:ペルム紀の超苦鉄質岩(蛇紋岩)であり、山麓には砂鉄を含む火山岩、花崗岩が多い。地質で語る百名山 第6回 より

左目を閉じた日本武尊
もしかしたら、武尊(ホタカ)山の武尊伝説は、他の英雄のお話なのかも知れません。それを日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説として、修験者たちが広めたのかも知れません。

武尊(大和朝廷)一行が、砂鉄を求めてホタカ山に来たのではないか?という話は、Hの個人的な考えです。あくまで想像に過ぎません。しかし伝承はあるものの、左目を閉じた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像は他にはありませんし、お話した通り、武尊伝説と砂鉄が関係していることは、十分にあり得ると思います。片品の安曇族の伝説も、この仮説を支持します。

由緒の件ですが、山麓に28か所ある武尊神社の総鎮守は、片品の花咲武尊神社です。沼田の武尊神社は、もともとは碓根神社といわれており、穂高見命(ホタカミノミコト)を祭る神社ではありません。同じ名前でも別の神社です。
沼田の武尊神社の由緒にある真田家の侍医鈴木法橋が、日本書紀に感動し、「ホタカ」に「武尊」の字をあてたという説を否定するつもりはありませんが、Hは、江戸時代以前から、片品の花咲など一部の人々は、「ホタカ山は武尊(ミコト)の山」と思っていたのではないかと考えてしまうのです。

左目を閉じた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、この由緒をどう思っているのでしょうか。

それにしてもです。昔からの言い伝えであるにしても、比較的耕作しやすい里芋も胡麻も作らないなんて、なんという信仰心でしょう。
こんな厚い信仰心を思うと「ヤマトタケルノミコトがホタカ山の山頂に立った」という武尊伝説は、やはり「本当なのかも?」なんて妄想してしまうのです。

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山頂の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像。左目を閉じている。建立は1890年(明治23年)らしい。ちなみに山頂の像は川場村のもので、前武尊の像は片品村のものであり、それぞれ川場村、片品村を向き、地域の人々を見守っている。


武尊山のスキー場の歴史

昔の国設、村営スキー場
「オグナほたかスキー場」の開設は1975年(昭和50年)、片品村により「国設武尊スキー場」の名称で誕生しました。当時既に手前の山麓側には「武尊オリンピアスキー場」がありました。
村営ですが、国有林野内に建設されたことで「国設」の名となりました。「国設」とは経営が国営、国立という意味ではなく、国有地内に開設したという意味です。
「オグナほたかスキー場」は、以前は「片品村営スノーパル・オグナほたか」という名称でした。「スノーパル」とは雪+友達からなる造語でしょう。2008年に指定管理者制度に基づき、「宝台樹スキー場」や「武尊牧場スキー場」を運営する武尊山観光開発株式会社(第三セクター)に管理運営が委託され、2013-2014シーズンから現在の「オグナほたかスキー場」の名称になっています。

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写真にあるのが今は無きオグナの第3クワッド

第3クワッドの廃止
2012-2013年シーズンの営業中(2013年3月)に、オグナスキー場の第3クワッドリフトが機械トラブルにより運休となってしまいました。その後、代替として第7ペアリフトが掛けられることになります。
オグナファンはゲレンデの大部分をカバーしてくれる高速の第3クワッドリフトの掛け替えを期待していました。しかし、故障した第3クワッドリフトは既にスキーリフト事業から撤退している三菱重工製であり、部品調達さえも困難であること、また高速リフトの掛け替えには6億5千万~9億円もの費用が見込まれるため、片品村は1億9千5百万円で済む第7ペアリフトの設置を選択したということです(片品村村議会会議録より)。

懐かしの武尊オリンピア
これもよく話に出る話題ですが、「オグナほたかスキー場」の直ぐ下にあった「武尊オリンピアスキー場」は、不況による来場者数の落ち込みが続き、2001年(平成13年)に閉鎖となっています。
「武尊オリンピアスキー場」は、1964年(昭和39年)にタワー観光(東京タワーの関連会社)、東部鉄道などの出資によって設立された大利根観光開発により開設されました。この年に開催された東京オリンピックにあやかった命名でした。
「武尊オリンピアスキー場」は、この地域では「尾瀬戸倉スキー場」(現在のスノーパーク尾瀬戸倉:1962年昭和37年開設)に次ぐ歴史のあるスキー場でした。スキーバブル後の落ち込みに耐えられなかったということなのだと思いますが、オグナや武尊牧場の開業もあり、狭い地域に3つのスキー場があることも影響していたのでしょう。
ちなみに「オリンピア」と隣接する「オグナスキー場」とは、滑り込みが出来たのにも関わらず共通リフト券は発売されていませんでした。

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武尊オリンピアは、広い緩斜面が初心者に優しく、のどかなスキー場でした。

武尊牧場スキー場の閉鎖
そういえば「オグナ」のすぐ近くに「武尊牧場スキー場」がありました。これもよく出る話題です。
運営会社は「オグナスキー場」そして「宝台樹スキー場」と同じ武尊山観光開発株式会社(指定管理者)で、開設は1979年(昭和54年)であり、「宝台樹スキー場」も同じ年に誕生しています。
全山パーク構想を謳い、長らくスノーボーダーに愛された「武尊牧場スキー場」でしたが、来場者数の落ち込みのために残念ながら2016-2017年シーズンを最後に閉鎖となってしまいました。ただしスキー場は閉鎖されましたが、キャンプ場は現在も営業しています。

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武尊牧場スキー場は、手前が急斜面、奥がとてつもなく広い平坦なゲレンデで、アイテムも多くスノーボーダーに人気のスキー場でした。

武尊(ホタカ)山の話が長くなってしまいました。
武尊山は日本百名山のひとつですが、群馬の山で有名なのは赤城山、榛名山、妙義山(上毛三山)であり、2,000m級の立派な山でありながら、読み方が難しいことで四阿山(アズマヤサン)、皇海山(スカイサン)などと共にマイナーな山になっている気がします。
武尊(ホタカ)山、ぜったい名前で損をしている気がします。でも歴史や由来を知ると、山は我々に、また新たな興味を与えてくれると思います。




最終日

朝のご挨拶。
今日の日程の説明。そして体操です。
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朝食の後、バスでゲレンデに上がります。
昨晩の降雪で、良いコンディションでした。
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初心者の皆さんも、リフトを乗り継いで上部のコースに上がりました。
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右は牛久保会長。

最終日の講習はお昼でおしまい。
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最終日のお昼ご飯です。メニューは「名物オグナ丼」です。
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オグナ丼とは、早い話「豚丼」です。
オグナ丼評論家としては、今年のオグナ丼は肉が多くて良かったです。
例年は玉ねぎが多いのですが。(笑)
でも、以前は舞茸が入っていた気がするんだけどなあ。。

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宿に戻って閉会式と、バッジテストの合格者の発表です。
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合格された皆さん、おめでとうございます!


楽しいスキー教室が終わりました。
川越に帰ります。
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by H




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川越市連「2020スキーレベルアップ講習会」レポート


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本年度のスキーレベルアップ講習会(川越市スキー連盟主催)が、1月25(土)、26日(日)の日程で、群馬県の尾瀬岩鞍スキー場で行われました!
今年は23名の参加者を集めて行われ、無事に二日間の日程を終了しました。

開会式の様子。
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牛久保会長挨拶。
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資格者班、受験生班、1、2級、初心者班に分かれ、内容の濃~い講習が行われました。
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小雪で大変なスキー場が多い中、尾瀬岩鞍スキー場は非常に良いコンディションでした。
天気にも恵まれました。日中は暑いくらいでしたよ。

これは資格者班の講習風景。今回の特別講師は高野先生。高野先生は最近まで県のトップ選手で全国大会にも出ておられた先生です。

青空をバックに。
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高野先生の指導は「目からウロコ」で非常にためになるものでした。

ポイントは、雪面からの抗力を足裏で感じるのではなく、股関節で受け止める感覚の滑り方です。
この股関節をターン操作で使います。
今の滑りは板を回すのではなく、腰を回す動きですが、腰を回すとともに股関節を使う。
Hの理解が間違っているかも知れませんが、山回りの後半、切り替えのところで股関節を折って板を回す感じです。
腰は回すのですが、回し過ぎるのではなく、股関節を折って回す。そして外向を作る。

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資格者の皆さん流石に上手いのですが、どうしても腰が回ってしまう。人によっては内側に倒れて、板が身体から離れてしまいます。でも、股関節を少し折ると、身体の下に板が戻ってくる。身体と板が離れない。

デモンストレーションでの高野先生の回し方は、綺麗に身体の下に板が戻ってきます。
ものすごく美しいターンです。

この股関節を使ったターン後半のポイント以外はシンプルで、フォール(ターンの頂点)での間、見せ方と、ターン始動時のポジション、この3点が指導のポイントでした。

さすが技選のトップ選手らしい、新鮮な指導内容でした。
初日は大回りを中心にした講習でした。


食事風景。今回の宿は岩鞍ハウスでした。
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和気あいあい。
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岩鞍ハウスのご飯は、以前よりも少しグレードアップしているような・・。以前はもっと味気な(以下自粛)。(笑)
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食事の後はミーティングです。
初日に撮影したビデオを観て、各自の滑りを確認しました。
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S見さん、くつろぎ過ぎ。(笑)
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会長の話は、いつも面白いです。
伝説の語り部。(笑)


ミーティングの後は二次会。遅くまでスキー談義で盛り上がりました。
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二日目も良い天気でした。
資格者班は二日目は小回りを中心に、昨日の指導内容でパラレルをターン後半、フォール、ターン前半の順に仕上げました。
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今回の外側の股関節に乗るイメージは、かなりハイレベルなことを、判り易く指導して頂いた感じです。
出来る出来ないはまた別ですけど、Hは非常に参考になりました。高野先生、流石です!

良い天気に、良い雪でした。
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たっぷり滑って充実の講習でした。

これは受験生班。講師は長谷川講師。
皆さん真剣な表情で指導を受けておられました。
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今回も、間違いなくレベルアップ出来た講習会でした。

参加者も多く、大変にぎわいました。
楽しかったです!

講師・役員の皆さん、お疲れ様でした!

総務の桜井さん、ありがとうございました!



by H





<速報!>正指導員検定2020結果

合格おめでとうございます!

長岡 浩さん(白銀隊)
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渡辺浩子さん(オットット)
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2名合格です。






<速報>準指導員検定2020結果





残念ながら、桜は咲きませんでした。

今年は、かなり厳しかったようです。



2020年度スキー指導員検定会<二日目速報!>

鹿島槍スキー場(第3会場)で行われている正指導員検定会の速報です。
長岡さんによると、
川越チームは無事演技終了。
転倒もありませんでした。
金曜日は暑くてウエアを脱ぎたいくらいでGWのかぐらのようだったそうです。
土曜日は風が冷たく厚くは無いですが、シャバシャバな悪雪。
受験生にとっては良い環境ではなかったとのこと。

さあ明日、結果発表です。

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